「糸遊(いとゆう)」によせて
夜空を見上げて、時折想いを馳せることがある。
探査船ボイジャーが地球を飛び立って、もう随分時間が経ったなあ、と。
地球外生命体にメッセージを送るという壮大な夢を託されて、ボイジャーは未踏の地へ飛び立ったが、まだ見ぬ友人からは未だ返事はないようだ。
広い宇宙の塵を掴むような科学者の探求心に、僕は我々の創造の夢を重ね見る。俳人・秀格の眼に映るこの三千世界の出来事は、その一つひとつが、あたかもスローモーションのようにはっきり見えているのかもしれない。その一つひとつに無意味なものなどないのだが、忙しない私たちの目には、あえて留まらない流れゆくものとして映っている。しかし、彼の持つ触手はまるで桜舞う風の中に流れる糸遊のように、誰の目も留めないその日常の一コマを、その見えざる手で掴み取っているのだ。その繊細な感覚に、僕は自然流を謳う秀格の嗅覚を見ている。
彼の触手にふれた小さな囁きたちは、それぞれの個を保持しながら、秀格の感性という名のプリズムを通じて五・七・五に再構築され、美しい色艶を伴ってこの世界の空に再び放たれるのである。まるで水琴窟から奏でられたような音階を持つ詩は、偶然を装って僕の心の深淵に着水し、それから静かに心の海を波立たせ続けることになったのである。魅惑的な響きを持つその旋律は、波のように、また流れゆく雲のように様々に表情を変えて、口ずさむ僕の心の空に木霊する。僕は遠くから慎重に、彼の世界にそっとふれる。ふれては離れを繰り返し、随分と長い時間、僕は彼の創り出した言葉の迷路を一人歩いていた。時折、浮き石のように見え隠れする言葉の指標は、僕を出口ではなく、よりその世界の深淵に導いていくのだった。彼の創り出す宇宙は、己を写す鏡のような澄み渡った水面のようだが、その中には紺碧の渦巻く迷路を宿しているのだ。
その世界では、一即多が縦横無尽に広がり、幾千もの言葉の鐘が鳴り響き、僕を迷わせる。そのゆらぎの中で、僕はただ波に浮かび揺られて、ゆらゆらと空を眺めるような思いをした。しばらくすると、それは一瞬、心の空一杯に星屑のようなまぼろしを魅せるが、まるで白い紙に定着させられることを拒むかのように、浮かんでは消えていった。しかし、ついにその儚きまぼろしは、長い時間を経て、此処に詩と相生となって永遠の鼓動を始めた。ゆらぎの世界で共鳴した、この二つの個性が紡ぎ出した世界は、遠く時間や場所を越えて白い結晶となって此処に生まれ出た。有為転変のこの世界で、縁という波紋によって偶然運ばれてきた星のかけら同士が魅せたこの一対の輝きは、二人の宇宙に最初から描かれていた理の一つだったのかもしれないと思う。
2008年3月10日 大矢雅章
「糸遊」の由来と二人の出会い
余りに乱暴な言い方になるが、字でもなく、絵でもないように見えるものを描く書の手法の一つを前衛書と言うらしい。書家は真面目に書いているというのだが、素人目には絵なのか字なのかはさっぱり分からない。絵で言うところの抽象画の範疇だろうか。 縁あって高名な前衛書家・T氏と親交を持つことができて、この前衛書の世界を少しずつ覗かせて貰ってから、早いものでもう十年以上経つ。 良縁というものは不思議なもので、波紋のように連鎖して広がりを見せていくものだ。
数年前、T氏から「君の版画に興味のある若い前衛書家がいるのだけど」と、書家・秀格の名前をはじめて聞かされた。ほどなくして、その夏の京都での個展に、彼は朝一番に花束を持って会いに来てくれた。熱心に版画について語る彼とすっかり意気投合してしまい、「一度版画をやってみないか」と、誘うことになり、さらに親交が深まることになった。その後しばらくして、彼の念願だった版画制作を僕のアトリエで行ったのだが、その帰り道に、どうしてそういう話になったのか今では思い出すことが出来ないが、「実は私は書家だけではなく、俳人でもあるのです。私の句を一度読んでみてくれませんか」と、こう言ったのだった。
そんな縁から受け取った俳句は、瞬時に僕の琴線に触れた。そしてかねてから詩画集というものを作って見たいと望んでいた千載一遇は、まさにここに現れたのだった。思い返す度に出会いは予知できない地震のようなものだと思えてくる。僕にとって俳句は非常に難しい未知の領域だと感じたが、彼の創り出す詩は僕を初めての詩画集へと向かわせるに有り余る魅力があった。僕は、それをゆっくりと時間をかけて解凍し、自分の世界と重ねて見ることにした。俳句の鑑賞というものは、瞬時に共感するかどうかが大切で、いちいち頭で理解するものではないとも思うのだが、ひとつひとつゆっくりと多角的に分析してみると、また違った世界が見えてきて面白いものだ。
題名の糸遊(いとゆう)は、春先に蜘蛛の糸が風になびき見え隠れする、不確かな風景を言葉にした春の季語だ。不確かな世界感を表す陽炎の同意語でもある。僕はこの世界に浮かぶ世塵を掴み取ることが出来る彼の見えざる手を、春空に流れゆく蜘蛛糸に重ね見て名付けたいと思った。その世界観から様々な題名が浮かんでは消えていったが、彼のモノを受け止める繊細な感覚に思いを馳せた時、この題名は動かしがたいものとなった。右右脳を持つ彼の感性の目は、誰も見ていない光景を素早くキャッチして感覚的に切り出しては「自然流・宇宙流」という自由な俳句を創り出している。その彼がまるで建築家のようだと言う、僕の感性は彼とは正反対のアンテナを持っており、「観察・考察」の結果として創造を形にしていく。
その僕が、この一年近く彼の世界を観察し考察することで創作したこれらの版画は、僕のこれまでの作品にない、新しいエッセンスが加わったものになった。そして、彼は僕の創造への探求の返礼にと、詩画集に直接書をしたためてくれた。とぎれることなく続いてきた二人のキャッチボールは、ここで一旦詩画集となって結実した。
僕が、これまで創り出してきた版画という創造の世界に呼応して、僕を探し出してくれた書家・秀格が、僕が最も待ち望んでいた俳人だったとは。まあなんとも縁というものは不思議なものであるとしか言えない。僕は、この函を開く度に、いつもそう思うことだろう。
数年前、T氏から「君の版画に興味のある若い前衛書家がいるのだけど」と、書家・秀格の名前をはじめて聞かされた。ほどなくして、その夏の京都での個展に、彼は朝一番に花束を持って会いに来てくれた。熱心に版画について語る彼とすっかり意気投合してしまい、「一度版画をやってみないか」と、誘うことになり、さらに親交が深まることになった。その後しばらくして、彼の念願だった版画制作を僕のアトリエで行ったのだが、その帰り道に、どうしてそういう話になったのか今では思い出すことが出来ないが、「実は私は書家だけではなく、俳人でもあるのです。私の句を一度読んでみてくれませんか」と、こう言ったのだった。
そんな縁から受け取った俳句は、瞬時に僕の琴線に触れた。そしてかねてから詩画集というものを作って見たいと望んでいた千載一遇は、まさにここに現れたのだった。思い返す度に出会いは予知できない地震のようなものだと思えてくる。僕にとって俳句は非常に難しい未知の領域だと感じたが、彼の創り出す詩は僕を初めての詩画集へと向かわせるに有り余る魅力があった。僕は、それをゆっくりと時間をかけて解凍し、自分の世界と重ねて見ることにした。俳句の鑑賞というものは、瞬時に共感するかどうかが大切で、いちいち頭で理解するものではないとも思うのだが、ひとつひとつゆっくりと多角的に分析してみると、また違った世界が見えてきて面白いものだ。
題名の糸遊(いとゆう)は、春先に蜘蛛の糸が風になびき見え隠れする、不確かな風景を言葉にした春の季語だ。不確かな世界感を表す陽炎の同意語でもある。僕はこの世界に浮かぶ世塵を掴み取ることが出来る彼の見えざる手を、春空に流れゆく蜘蛛糸に重ね見て名付けたいと思った。その世界観から様々な題名が浮かんでは消えていったが、彼のモノを受け止める繊細な感覚に思いを馳せた時、この題名は動かしがたいものとなった。右右脳を持つ彼の感性の目は、誰も見ていない光景を素早くキャッチして感覚的に切り出しては「自然流・宇宙流」という自由な俳句を創り出している。その彼がまるで建築家のようだと言う、僕の感性は彼とは正反対のアンテナを持っており、「観察・考察」の結果として創造を形にしていく。
その僕が、この一年近く彼の世界を観察し考察することで創作したこれらの版画は、僕のこれまでの作品にない、新しいエッセンスが加わったものになった。そして、彼は僕の創造への探求の返礼にと、詩画集に直接書をしたためてくれた。とぎれることなく続いてきた二人のキャッチボールは、ここで一旦詩画集となって結実した。
僕が、これまで創り出してきた版画という創造の世界に呼応して、僕を探し出してくれた書家・秀格が、僕が最も待ち望んでいた俳人だったとは。まあなんとも縁というものは不思議なものであるとしか言えない。僕は、この函を開く度に、いつもそう思うことだろう。
大矢雅章 2008年3月10日